碑文谷創の葬送基礎講座

碑文谷創の葬送基礎講座13 死者・遺族を知らずに葬式は可能か? ―僧侶手配、派遣僧侶の問題をどう考えるべきか②

投稿日:2019年10月1日 更新日:

「僧侶手配」という事業

「僧侶手配」という名称こそ新しい。しかも「お坊さん便」以降はネット系葬儀斡旋事業者がこぞって類似の表現をするようになった。
しかし「僧侶手配という事業」は、首都圏ではすでに30年以上の歴史をもつ。
何せ東京では半分は檀那寺をもたない宗教的浮動層。そのくせ8割は仏教葬を希望。
その差の3割は、葬儀社かネット系葬儀斡旋事業者が斡旋するかの違いで斡旋を受けた知らない僧侶が葬儀をしている。

みんれび(現「よりそう」。当時「シンプルなお葬式」、現「よりそうのお葬式」)の僧侶手配が話題となったのはWebサービス会社の巨人アマゾンに出品したというニュースバリュによる。
それに全仏が自己批判抜きの奇妙な「理事長談話」を出したものだから話題は大きくなった。

「お坊さん便」とは

「お坊さん便」とは当時のみんれびの説明によれば「法事・法要の際に全国一律定額・追加料金なしで僧侶を手配するサービス」である。

「お坊さん便は、『法事・法要などで読経をしてもらいたいものの、お寺とのお付き合いがない』『お布施は何代をいくら包めば良いのか相場がわからず不安』という方へ、インターネットを通じて、全国へ定額・追加料金なしでお坊さんを手配するサービスです。時代のニーズに応えて、必要な法事・法要の際のみでも心のこもった供養をしていただける僧侶を紹介しています」と説明された。

よりそう(旧・みんれび)以外にも、小さなお葬式、イオンのお葬式、鎌倉新書いい葬儀、DMMが買収して話題の「終活ねっとのお葬式」、僧侶派遣プロダクションとして長い実績のあるB-WAYグループ(旧・グランド・レリジオン、八正会)がほぼ類似のサービスを提供している。

葬儀料の一部としてネット斡旋事業者が受け取り、手配手数料を除いた金額を出仕対価として支払う例と僧侶が「お布施」として受け取り一定の手数料をネット斡旋事業者にキックバックする例とがあるようだ。

ネットの世界

アマゾンが巨大化し、ネット通販があたりまえになっただけではなく、本も新聞のニュースも音楽も映画も、ほとんどの情報がインターネットで入手できる時代である。
「ネットで坊さん頼める」と聞いても何の不思議さも感じられない時代なのだろう。

ネットが有効に働いた例もある。
ある僧侶のネットでの発信を見ていて「この僧侶に自分の葬儀を任せたい」と思った人がいた。
彼は家族に言い残し、死後ただちに家族はその僧侶に電話をして死者の想いを伝えた。
それを受け取った僧侶は死者の遺したノート、遺族への丹念な聴き取りを行い葬式した。

匿名の僧侶が有効だった例

東日本大震災(2011年)の時、被災者を案じ、死者を弔おうと被災地にかけつけた僧侶が被災地でお経をと願われた事例はあった。
生前に死者、遺族とそのボランティアで駆けつけた僧侶の間には何の関係もない。
しかし両者をつないだ確かなものは「死者を弔う」という熱意、祈りのようなものであった。
だから被災地における読経は意味をもったのである。

ネットを介した「僧侶派遣」にも同じような例はある。
現に檀信徒関係にない遺族が家族を喪った時、死者を弔うためにネットを介して僧侶を依頼し、派遣される僧侶もそこで死者の弔いに懸命に対処し、遺族に寄り添うならば、そこに生きた関係が生じるであろう。
少数の家族のみで営まれた葬儀で派遣された僧侶は火葬まで立ち会い、ずっと家族である息子、娘に寄り添い、耳を傾けた。
親戚すら生はもとより死にも冷淡な中で、それまで無縁だった僧侶が唯一残されたきょうだいの味方となった。

既知か、檀那寺か、派遣か否かではなく、依頼する者、依頼される者の双方に「弔う」という想いが共有されていることが重要なのだろう。

住職と檀信徒間でもおかしな葬儀が

家族が危篤になって慌てた檀信徒が寺に電話をかけたら「死んだら連絡してくれ」と言われた例は少なくない。
檀信徒が生死の境に彷徨っている事実が住職の心を動かさず、死亡した後に葬式儀礼をするのが仕事だと心得ている。

瀕死の状態にある人に対して当然だが僧侶は医療行為はできない。
しかし、寺にとって重要な構成員である者に対して自らの心は揺らぎ、動くし、不安を抱える遺族の側にいることはできる。
また、そうした想いをもたない僧侶がはたして葬式だってできるか、充分に疑う価値がある。

死者や遺族に関心がない僧侶の葬式は成立するのか

また葬式には熱心だが、死者や遺族にほとんど関心を寄せない僧侶がいる。

私は、とても親しい者が死んで、喪主となる者の希望で檀那寺の住職との葬式の打ち合わせの場に出たことがある。
その住職は、私が同席することへの不快感を隠さなかった。
彼からすれば私が同席する意味はなかったからだ。
住職が喪主から聞き取ったことは死者の名前、読み方、年齢、家族構成だけ。
死者の人生も遺族の想いも一切聴き取りしなかった。

彼の唯一の関心は「葬式進行について親戚、葬儀社がいろいろ言うかもしれませんが、葬儀は私が導師なので、私がすることに従ってもらいます」であった。

その住職は彼の属する宗派の葬式進行に純であったと思う。
しかし、それはどれほどの意味をもつのであろうか。
通夜の後の法話で、その住職が自ら付けた戒名の意味について熱心に説明していたが、死者固有のことはゼロで、聞いていて空しかった。

死者や遺族の想いを知らず、つまりはその固有の生死に向き合わずにする葬式は意味があるのか。
宗派信仰に熱心な僧侶はとかくこうした思い違いをしがちであるように思う。

その死者は私にとってかけがえのない大切な者であったので、その時の住職の態度には煮えくり返るほどの恨みを今でももっている。

心を閉ざす遺族

もとより遺族にもいろいろいる。
死者や遺族の想いをたずねる僧侶に「余計なこと」と心を閉ざす遺族も少なくない。
「僧侶は余計なことをせずお経だけをあげてくれればいい」
とあからさまに態度で示す遺族がいる。

彼らにとってはネットを介して依頼した、「関係をとろうとしない僧侶」の方が好みなのだろう。

納得のない葬儀をしないと未来はない

僧侶で葬式に無関心な者は少ない。
寺を成り立たせてくれている重要な部分であるからだ。

その割にはこの葬式をどう行うべきか悩み、工夫する僧侶は少数派に留まる。
「いつものことをいつものように」やっている僧侶が多いのは残念だ。

葬式の場に死者や遺族の想いをくみ取ろうとする姿勢で臨む僧侶とそうでない僧侶とではおのずと違ってくる。
葬儀の納得感も異なる。
へたに感動させてくれる必要はない。
テクニックも不要である。
姿勢が肝心なのだ。

ただ生業としていやいやながら、たんたんと勤める葬式をしていると未来の葬式の機会を失うだろうし、これまでも数多く失ってきたのではないかと思う。

私が講演に行った先で、檀那寺がないことの相談よりも檀那寺はあるのだがその住職への不満を耳にすることの方が圧倒的に多い。

もとより真剣に生き、真剣に人々の生死に向き合っている尊敬できる僧侶も多い。

  • この記事を書いた人
碑文谷創(ひもんやはじめ)

碑文谷創(ひもんやはじめ)

葬送ジャーナリスト。評論(死、葬送、宗教)

1946年生まれ。東北出身(岩手・一関市、宮城・仙台市)。東京神学大学大学院修士課程中退。出版社に勤務し、44歳で独立、葬送文化専門雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)。

葬祭ディレクター技能審査企画委員(1995~2016))、経産省「ライフエンディング・ステージ」研究会委員(2010~2011)、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)顧問(1993~)等を歴任。

現在、死、葬送、宗教に関する評論・講演活動を展開。著書:『葬儀概論』(現在4訂)『死に方を忘れた日本人』『「お葬式」はなぜするの ?』、『Q&Aでわかる葬儀・お墓で困らない本』ほか多数。

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