在来仏教13宗56派まとめ|臨済宗14派の特徴を解説

臨済宗まとめ アイキャッチ

国内で営まれる葬儀の8割前後が仏式で執り行われているようですが、宗派ごとに葬送に対する考え方や葬儀の内容も異なります。
しかし、それぞれの違いについて詳しく把握している方は、葬儀社に勤務されている方であっても、少ないのではないでしょうか。
葬儀関連事業に従事する関係者の皆様におかれましては、日本の宗教文化を理解することで、宗教・宗派ごとの葬祭に関する専門知識を高める一助となるでしょう。

この記事では、その多様な宗派の中から臨済宗14派をご紹介いたします。
ぜひ最後までご覧ください。

目次

臨済宗14派の概要と傾向

臨済宗まとめ 妙心寺
出典:妙心寺 公式HP

臨済宗は、臨済義玄(りんざいぎげん)を宗祖として、中国で生まれた宗派です。
坐禅を重んじる禅宗のひとつで、全国の寺院の数は約6,000、信者は約100万人とされています。
日本における禅宗としては、臨済宗のほかに曹洞宗黄檗宗(おうばくしゅう)があり、日本三禅宗といわれています。
日本の臨済宗は、中国臨済宗「黄龍派(おうりゅうは)」の流れをくんでいる建仁寺派と、「楊岐派(ようぎは)」の流れをくむ他14派に分かれています。

臨済宗の「坐禅で悟りを得る」という考え方は鎌倉時代、室町時代の幕府に支持され武士社会を中心に広まりました。
禅宗である臨済宗は、坐禅公案(こうあん)が修行の方法として知られており、師と対面で坐禅をする「看話禅(かんなぜん)」があります。
坐禅をしている弟子に師は「公案」という問題を出し、弟子は坐禅で精神統一をはかって問題を考えます。

「釈迦如来(しゃかにょらい)」をご本尊様とする臨済宗では、教義のよりどころとなる特定の根本経典は定めていません。
とはいえ経典を読むこと自体は、他宗以上に熱心におこなっているようで、宗派により多少の違いがありますが「般若心経(はんにゃしんぎょう)」「観音経(かんのんきょう)」が多く読まれます。

臨済宗が宋(現在の中国)から日本に伝えられた際に、水墨画や枯山水、茶の湯などの美術や文化がともに伝わりました。
茶室や茶道具、懐石料理なども禅の考えにもとづくとされています。
代表的な枯山水の庭園は京都の龍安寺、大徳寺、建仁寺などがあります。

枯山水:水を使わずに砂や石、木だけで山や水のある景色を表現した日本庭園

臨済宗のご本尊・釈迦如来について

臨済宗まとめ 釈迦如来
出典:妙心寺 公式HP

ご本尊は寺院や仏堂においてもっとも主要であり、重要な仏像・菩薩像などのことで、信仰や供養の対象として祀られています。
各仏教宗派では、それぞれ寺院でご本尊としている仏像などがあります。

「釈迦如来」は、仏教の開祖である釈迦を尊ぶ呼び名です。
インドの一部族に王族として生まれたとされる人物で、29歳のときに一切を放棄して出家を目指し、苦行の道に入ったとされます。
苦行の末に悟りを開くに至って、その後は人に教えを説いたことが仏教として広まっていきました。

著名な釈迦如来像としては、奈良県 法隆寺金堂、室生寺金堂、京都府 蟹満寺の銅像、 大法恩寺の木像などがあります。

臨済宗の数珠について

臨済宗まとめ

葬儀のとき仏式では数珠を持ちお参りしますが、宗派により数珠の形やかけ方が違うのをご存じでしょうか。
数珠の珠の数は108個が基本となっていて、修行のときに煩悩を断ち切ったり功徳を得るという意味があるようです。
もともとお経や念仏を唱えるときに、数珠の珠を数えていたことから念珠ともいわれます。
こちらでは臨済宗の数珠についてご紹介します。

臨済宗の数珠

数珠には宗派により決まっている正式な「本式数珠」と、宗派に関係なく使用できる「略式数珠」があります。臨済宗の本式数珠は「看経念珠(かんきんねんじゅ)」といわれるもので、人間の煩悩の数と同じ108個の珠がつながっていて、親玉という少し大きい珠が一つあります。

臨済宗の数珠の扱い方

数珠を持つときは本式数珠の場合は、二重にして左手の親指と人差し指の間にかけて軽く握ります。
略式数珠の場合はそのまま左手の親指と人差し指の間にかけましょう。
お参りのときは数珠をかけた左手に右手を合わせ、房の部分が下に来るようにするとよいでしょう。

臨済宗14派の紹介

ここからは、臨済宗14派についてご紹介いたします。
各宗派の特徴、概要がお分かりいただけると思います。
リンクを載せておりますので、詳しい内容はクリックしてご覧ください。

1.臨済宗建仁寺派

建仁寺-min
開祖栄西禅師(えいさいぜんじ)
ご本尊釈迦如来(しゃかにょらい)
代表的な寺院建仁寺( 京都市 東山区)

臨済宗建仁寺派は鎌倉時代初期に、栄西禅師により中国から日本に伝えられました。
栄西禅師は博多に正福寺(しょうふくじ)、鎌倉に福寿寺(ふくじゅじ)を建立し住職をつとめ、建仁二年(1202)に、臨済宗建仁寺派の本山である建仁寺を建立しました。

僧侶になるための厳しい修業が特徴の臨済宗建仁寺派では、入浴も大切な修行の1つとして厳しい作法が定められ、建仁寺には今でも浴室が残されています。

ご本尊様は釈迦如来で、別名「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」とも呼ばれています。
経典は特定のものを定めていませんが、「般若心経」「観音経」のほかに「大悲呪(だいひじゅ)」「金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)」がおもなものとなります。

臨済宗建仁寺派について詳しくは、以下の記事をご覧ください。

2.臨済宗建長寺派

建長寺-min
開祖臨済義玄(りんざいぎげん)
ご本尊地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
代表的な寺院建長寺(神奈川県 鎌倉市)

臨済宗建長寺派の大本山建長寺は鎌倉五山の第1位に定められており、臨済宗の中で2番目に信徒数が多い宗派です。

鎌倉五山:鎌倉にある臨済宗の五大寺のこと
建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の順に序列が定められている

鎌倉幕府執権の北条時頼に請われ、臨済宗揚岐派(ようぎは)の大覚禅師(だいかくぜんじ/蘭渓道隆)により開山された建長寺は、宋の厳しい禅を取り入れた寺院として多くの修行僧を集めました。

臨済宗建長寺派のご本尊様は、基本的には釈迦如来(しゃかにょらい)です。
しかしその寺院の由来により、異なるご本尊様をお祀りしている寺院も多くあります。
臨済宗建長寺派の大本山である建長寺のご本尊様は、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)です。

経典は定められていないようで「般若心経」「観音経」「大悲呪」「座禅和讃」「金剛般若経」などのさまざまな経典が使われています。

臨済宗建長寺派について詳しくは、以下の記事でご紹介しています。

3.臨済宗東福寺派

東福寺京都
開祖聖一国師 円爾(しょういちこくし えんに)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院東福寺( 京都市 東山区)
出典:東福寺 公式HP

臨済宗東福寺派は鎌倉時代中期に活躍した僧、円爾(えんに)が宋に渡り臨済宗を修めて帰国したのちに東福寺を開山して始まった宗派といわれています。
現在東福寺派と称される円爾が広めた臨済宗は、中国臨済宗の中では「楊岐派(ようぎは)」と呼ばれており、栄西が広めた「黄龍派(おうりゅうは)」とは異なっています。

ご本尊様は釈迦如来で、経典は特定のものはなく「般若心経(はんにゃしんぎょう)「「観音経(かんのんきょう)」「大悲咒(だいひじゅ)」「開経偈(かいきょうげ)」が読まれています。

臨済宗東福寺派について、以下の記事で詳しくご覧いただけます。

4.臨済宗円覚寺

円覚寺-min
開祖無学祖元禅師(むがくそげんぜんし)
ご本尊宝冠釈迦如来
代表的な寺院円覚寺(神奈川県 鎌倉市)

臨済宗円覚寺派の大本山、円覚寺は蒙古襲来の戦死者を弔うために北条時宗が発願し、弘安5年(1282)に無学祖元禅師(むがくそげんぜんし/仏光国師)が円覚寺を開山したことから始まります。
「鎌倉五山」の第2位で室町時代には、日本の禅の中心的な存在だったといわれています。

日本に臨済宗を伝えたのは、栄西禅師(えいさいぜんし)ですが、臨済宗円覚寺派の法嗣(ほうし、はっす)の系統は、栄西とは異なっています。

法嗣(ほうし、はっす)
主に禅宗や密教で用いられる用語で、師から法脈を受け継ぎ、後の弟子に伝える人物を指す

御本尊様は宝冠釈迦如来で、経典は特定のものはありませんがよく読まれているのは「般若心経」「金剛般若経」「楞厳呪(りょうごんじゅ)」「観音経」「座禅和讃」などです。

臨済宗円覚寺派について、以下の記事で詳しくご紹介しています。

5.臨済宗南禅寺派

南禅寺-min
開祖大明国 無関普門
ご本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
代表的な寺院南禅寺( 京都市左京区)

臨済宗南禅寺派は鎌倉時代中期に活動していた僧、無関普門(むかんふもん)が亀山法皇に請われて南禅寺開山に招かれ、寺院開山したことを起源としています。
臨済宗 南禅寺派は「楊岐派(ようぎは)」に属しています。
また、開祖である無関普門の師は、おなじく「楊岐派」に属する臨済宗 東福寺派開祖の円爾であると伝えられました。

南禅寺は日本最初の勅願寺といわれており、亀山法皇の発願文によって南禅寺の住持は「日本で最もすぐれた禅僧」が就くように定められたと伝えられます。
そのため南禅寺の寺格は極めて高いとされ、「京都五山」の中でも別格として扱われました。

京都五山:京都にある高い寺格をもつ臨済宗の寺院のこと
南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の順に序列が定められている

御本尊様は釈迦牟尼仏で、経典は定めていないようですが「般若心経」や「観音経」などが読まれています。

臨済宗南禅寺派については、以下の記事でご紹介しています。

6.臨済宗大徳寺派

大徳寺-min
開祖宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院大徳寺(京都市 北区)

臨済宗大徳寺派は「楊岐派(ようぎは)」の流れをくむとされ、鎌倉から南北朝時代に活動していた僧、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が京都に開山した大徳寺を起源としています。
著名な茶人が大徳寺とかかわりがあったと伝えられており、特に三門は千利休(せんのりきゅう)が修造したと伝えられています。

安土桃山時代には、織田信長の葬儀が営まれた寺院として知られており、寺領には塔頭として総見院が建てられています。
戦国大名などからの寄進を多く受けたことから、大徳寺は大きく栄えることになり、現在でも京都で有数の規模を誇る寺院であるといわれています。

御本尊様は釈迦如来で、経典は定めておらず「般若心経」や「観音経」などが読まれているようです。

臨済宗大徳寺派について詳しくは、以下の記事をご覧ください。

7.臨済宗妙心寺派

妙心寺-min
開祖関山慧玄(かんざんえげん)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院妙心寺( 京都市 右京区)

臨済宗妙心寺派は「楊岐派(ようぎは)」の流れを引き継ぎ、鎌倉から南北朝時代に活動していた僧、関山慧玄(かんざんえげん)が花園法皇に請われて開山した妙心寺を起源としています。

応仁の乱で伽藍が焼失するなど荒廃してしまったといわれますが、日峰宗舜の弟子にあたる雪江宗深(せっこうそうしん)によって、復興を果たすことになったようです。
また、この雪江宗深の弟子によって、妙心寺派の中でもそれぞれの流派が立ち上げられており、これが「妙心寺四派」とよばれて現在にその法脈が継がれています。
現在の臨済宗 妙心寺派の寺院は、すべてこの四派のいずれかに属しているといわれます。

妙心寺四派:霊雲派、聖澤派、東海派、竜泉派

妙心寺派は臨済宗の中でも最大の宗派で、坐禅にもとづく「妙心寺派の教え」と題して、【生活信条】と【信心のことば】が伝えられています。
妙心寺の山内には「花園大学」や「花園中学高等学校」といった、「臨済禅のこころ」を建学の精神においた教育機関をもうけており、禅の教えを伝えています。

御本尊様は釈迦如来で、経典は特定のものはなく「般若心経(はんにゃしんぎょう)」や「観音経(かんのんきょう)」が読まれます。

臨済宗妙心寺派について詳しくは、以下の記事で紹介しています。

8.臨済宗國泰寺派

臨済宗まとめ 國泰寺派
出典:國泰寺 公式HP
開祖慈雲妙意(じうんみょうい)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院國泰寺(富山県 高岡市)

臨済宗は、坐禅を重んじる禅宗のひとつで、國泰寺は臨済宗道場として700年の歴史があります。
鎌倉時代に栄西(ようさい 1141〜1215)により、宋(現在の中国)から日本に伝わりました。
栄西は、比叡山 天台宗の僧侶でしたが、宋で臨済禅を学びました。
宋より帰国後、栄西は九州を中心に臨済禅を広め、のちに臨済宗と呼ばれるようになったのです。

御本尊様は釈迦如来で、日本三禅宗の1つである臨済宗は、知識よりも体験を重視することから、特定の根本経典を持たないという特徴があります。
「大般若波羅蜜多経」六百巻「金剛般若経」「般若心経」が中心的な経典です。
密教系の「陀羅尼」さらに「信心銘」「中峰和尚座右銘」(ちゅうほうおしょうざゆうめい)「坐禅和讃」「遺誡」なども読まれます。

このほかに「語録」が多く読まれています。
禅宗では体験を大切にしており、体験を伝えることばや表現を「語録」と呼んでいるのです。

臨済宗國泰寺派について、以下の記事で詳しくご覧いただけます。

9.臨済宗永源寺派

永源寺-min
開祖寂室元光(じゃくしつげんこう
ご本尊釈迦如来、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
代表的な寺院永源寺(滋賀県 近江市)

臨済宗永源寺派「寂室元光(じゃくしつ げんこう)」という臨済宗の僧侶が、南北朝時代の近江守護職にあった「佐々木氏頼(ささき うじより)」に招かれて「永源寺」を開山したことに始まりました。
明治時代には政府の宗教政策により「臨済宗 東福寺派」に組み入れられることになったようですが、明治13年には「臨済宗永源寺派」として独立しています。

寂室元光が中国からこんにゃく芋を持ち帰って、永源寺周辺で栽培をしたのが起源とされる「永源寺こんにゃく」や永源寺の境内に生えていた原木から発祥し、普及したとされる「エイゲンジ」という桜があります。

御本尊様は釈迦如来ですが、大本山の永源寺に祀られているのは観世音菩薩です。
経典は特定のものはなく「般若心経」や「観音経」が読まれます。

臨済宗永源寺派について、以下の記事で詳しくご紹介しています。

10.臨済宗向嶽寺派

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開祖抜隊得勝(ばっすい とくしょう)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院向嶽寺(山梨県 甲府市)

臨済宗向嶽寺派は開祖とされる「抜隊得勝(ばっすい とくしょう)」という臨済宗の僧侶が晩年、山梨県内に草庵を建てて住んでいたことに始まる宗派と伝えられます。
明治時代には政府の宗教政策により「臨済宗 南禅寺派」に組み入れられることになったようですが、明治41年には「臨済宗 向嶽寺派」として独立しています。

開祖の抜隊得勝が戒律に厳しかったと伝えられており、抜隊の遺戒による厳格な戒律を定めていることが特徴といわれているようです。
この遺戒は『抜隊得勝遺戒板木(ばっすいとくしょういかいはんぎ)』として残されており、ほかに法語として『塩山和泥合水集板木(えんざんわでいごうすいしゅうはんぎ)』があり、ともに国定の重要文化財になっています。

御本尊様は釈迦如来で、経典は特定のものはなく「般若心経」や「観音経」などが読まれます。

臨済宗向嶽寺派については、以下の記事でご紹介しています。

11.臨済宗天龍寺派

天龍寺 (5)-min
開祖夢窓疎石(むそうそせき)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院天龍寺( 京都市 右京区)

臨済宗天龍寺派は作庭家としても知られる夢窓疎石(むそうそせき)によって開かれました。
後醍醐天皇の菩提を弔うために、暦応2年(1339)に足利尊氏によって創建された天龍寺ですが、当時は対立関係にあった公家と武家の橋渡し役として、公武双方から尊崇を受けていた夢窓疎石を開山としたともいわれています。

夢窓疎石は作庭家としても知られており、天龍寺はもとより、世界遺産に登録されている京都の西芳寺(苔寺)をはじめ、数多くの寺院庭園を設計しています。
大本山の天龍寺は、日本で最初に史跡・特別名勝に指定された場所としても有名で、1994年には、世界遺産「古都京都の文化財」の1つに認定、登録されています。

御本尊様は釈迦如来で、特定の経典はなく「般若心経」や「観音経坐禅和讃」などが良く読まれています。

臨済宗天龍寺派について詳しくは、以下の記事をご覧ください。

12.臨済宗相国寺派

相国寺-min
開祖夢窓疎石(むそうそせき)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院相国寺( 京都市 上京区)

臨済宗相国寺派は「楊岐派(ようぎは)」の流れをくんでおり、
大本山の相国寺は、1382年、室町幕府第3代将軍であった「足利義満(あしかが よしみつ)」の発願によって伽藍が建立されたと伝えられます。
相国寺開山は、室町時代初期に活躍していた臨済宗の僧「夢窓疎石(むそうそせき)」とされており、それにともなって相国寺派開祖も夢窓疎石となっています。

大本山の塔頭寺院に世界的に著名な金閣寺銀閣寺を持っています。

御本尊様は釈迦如来ですが、相国寺境外塔頭 鹿苑寺(金閣寺)では「聖観音(しょうかんのん)」がご本尊として祀られています。
経典は特定のものは定められていませんが「般若心経」や「観音経」などが読まれます。

臨済宗相国寺派について詳しくは、以下の記事でご紹介しています。

13.臨済宗方広寺派

方広寺 (1)-min
開祖無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院方広寺(静岡県 浜松市)

臨済宗方広寺派の大本山である方広寺は、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)によって、1384年に開山され、東海地方を代表する禅寺として知られており、霊験あらたかな奥山半僧坊としても有名です。
無文元選禅師はかつて訪れたことがある中国の天文山方広寺の風景に似ていたため、「方広寺」と名付けたようです。
境内には、国指定重要文化財の釈迦三尊のほか、七尊菩薩堂や五百羅漢などがあります。

御本尊様は釈迦如来で、経典は特定のものはなく「般若心経」「観音経」などが日常的に読まれています。

臨済宗方広寺派について、以下の記事で詳しくご覧いただけます。

14.臨済宗佛通寺派

佛通寺-min
開祖愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう 佛徳大通禅師)
ご本尊釈迦如来
代表的な寺院佛通寺(広島県 三原市)

臨済宗佛通寺派大本山佛通寺は、應永4年(1397年)小早川春平公が 愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう:佛徳大通禅師)を招き創建したとされます。
1876年天龍寺派に属していましたが、1905年(明治38年)初代管長の寛量思休禅師のとき、天龍寺から独立して佛通寺派となりました。

禅道場として知られており、毎月1回おこなわれる月例坐禅会では、佛通寺禅堂獅子窟が開放されています。
臨済宗の教えのように、自分自身と向き合う目的で多くの人が坐禅体験に訪れます。

ご本尊は釈迦如来で、経典は特定のものはありませんが「般若心経」「観音経」などが日常的に読まれているようです。

臨済宗円覚寺派について、以下の記事で詳しくご紹介しています。

最後に

臨済宗まとめ 菊の花

この記事では臨済宗14派についてご紹介しました。
葬儀の場では宗派により僧侶が唱えるお経が違いますし、葬儀のしきたりやマナーも違ってきます。
臨済宗の葬儀では「授戒(じゅかい)」「念誦(ねんじゅ)」「引導(いんどう)」の順番で行われます。
故人が仏弟子となって修行をおこなうことで、自らの仏性に目覚めるための儀式という意味を持つといわれています。

葬儀関連事業に従事される方におかれましては、各宗派のことを知っておくことで、ご遺族や参列される方のご案内もスムーズにおこなえるでしょう。

葬研には各宗派を解説した記事が多数ありますので、ぜひご覧になって業務にお役立ていただければ幸いです。

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