碑文谷創の葬送基礎講座

碑文谷創の葬送基礎講座7 告別式から見える葬儀の変遷

投稿日:2019年7月1日 更新日:

葬儀(式)と告別式

「葬列」の代わり、であったから、「告別式」は最初「葬儀(式)」に引き続いて行われた。

 

大きな葬儀(式)は寺で行われたが、多くの葬儀(式)は自宅で行われた。自宅の中の葬儀(式)に参列する者の数は自ずと限られる。遺族と限定された関係者だけ。一般の会葬者は自宅周辺の路地にて待ち、葬儀(式)が終了後(あるいは途中から)庭に設けられた焼香台で順に焼香し、その後に霊柩車での出棺を見送った。この部分が「告別式」である。

 

葬儀の祭壇

告別式の装飾壇として出てきたのが「祭壇」である。これは仏教関係者も含め誤解されてきた。葬儀(式)のための壇ではなく、歴史的には告別式用の装飾壇として登場したのである。

 

かつて葬列があった時代、寺に到着した柩は外陣に置かれ、導師を務めた僧侶は本堂の仏壇に向かった読経し、振り返り、外陣に置かれた柩(に収められた死者)に向かって引導を渡した。
柩の周囲は葬列の葬具が置かれ、これが発展し祭壇になった。

今は生花祭壇が流行しているが、かつて祭壇といえば中心に宮型が置かれた形態が多かった。この宮型は葬列で柩を運ぶ輿(こし)を模したものであった。

 

キリスト教葬儀に見られる変化の痕跡

日本の近代以降であるが古い葬儀の形式は意外とキリスト教の式次第に残されている。

欧米文化を背景としたキリスト教を日本人に定着させるため、日本の葬儀習俗を理解しようとした痕跡が見られるからだ。

 

キリスト教では、葬儀(礼拝)に引き続いて「告別」の時間が設けられ、そこで弔辞や献花(日本のキリスト教の献花は仏教の焼香の代替の会葬者参加のお別れとして始まった)が行われて出棺となる。
この「告別」こそ告別式である。

 

葬儀の地域色が薄まる

日本の葬儀習俗は地方により少なからずの違いが見られる。今は葬儀の主体は個人、家族となっているが、1980年代(昭和55~64年)までは地域共同体が主催する例が主流となっていたからである。

 

1990(平成2)年以降、葬儀の場所が自宅(一部は寺)から葬儀会館(斎場=葬儀の場所の意)へ移行したことにより地域主催の葬儀は減少し、葬儀の個人化の大きな要因となり、かつ葬儀の地域色が薄まった。

 

※火葬場=斎場とするのは火葬場に式場を併設し、言葉の印象を和らげるための言い換えによる。一般的には80年代以降。

 

「葬儀・告別式」―社会儀礼化が進む

1960(昭和35)年頃から戦後高度経済成長を背景に葬儀の社会儀礼化が顕著になった。
1つは祭壇の大型化であり、もう一つは会葬者数の増加である。

 

60年代以降(地域等による違いはある)、それまで通夜の翌日の儀礼は「葬儀(式)」といわれていたのが「葬儀・告別式」といわれるようになった。

正確にいうならば「葬儀ならびに告別式」で「葬儀(式)に引き続いて告別式が行われる」意であった。だが、企業が葬儀に参加し、一種の合理化がなされ「参列者・会葬者を長時間拘束しない」という理由で「葬儀(式)と告別式を合わせて1時間以内に」となり、そのためには「葬儀(式)と時間的に併行して告別式を行う」に変化した。

 

死者を弔う宗教儀礼を主とした葬儀(式)は軽視され、社会儀礼である告別式が中心となり、結果は葬儀式の読経は告別式のバックグランドミュージックとなっていった。

 

「葬儀・告別式」から「通夜・告別式」へ

会葬者が葬儀(式)当日よりも通夜に多くなったのは葬儀の社会儀礼化が明確になった1980(昭和55)年頃ではなかったか。

企業関係者の会葬が増加し、一日休みをとる葬儀(式)への会葬より、仕事を休むことなく終業後に会葬できて便利とする会社関係者が通夜への会葬を多くしたことによる。

 

本来は通夜はプライベートなもので、遺族・関係者等の死者本人と親しかった者たちで過ごす時間・空間であった。

それが変わったのだ。

僧侶も通夜は黒衣で、葬儀式での色衣は用いなかったはずなのに、通夜が大きくなるにつれ葬儀式同様になった。

 

2005(平成17)年頃には、葬儀(式)当日の一般会葬者はほとんどいなくなり、「葬儀・告別式」は死語と化した。
言葉でこそ使用されなかったものの、告別式の機能は通夜へ移行し、通夜の実態は「夜の告別式」になった。

会葬者数でいうならば、かつては「通夜50人、葬儀(式)150人」だったものが、「通夜100人、葬儀(式)30人」と変わった。

 

葬儀の個人化

葬儀の「個人化」は1995(平成7)年を起源とする。

バブル景気崩壊を契機とした不況の長期化、葬儀から地域に続いて企業も撤退、家族の分散化と親戚関係の縮小、宗教儀礼への信頼度が下がる、80歳を超えた死亡が6割超えという死者の超高齢化による葬儀の緊迫度の低下…そのほかさまざまな要因が重なった。

 

会葬者数の変化

バブル景気全盛の時、葬儀の会葬者は普通の葬儀でも200~300人集めるのは少なくなかった。

平均会葬者数は280人であった。

今は、会葬者数が100人を割る葬儀が3分の2を越し、最も多いのが都市部では20~50人規模、郡部でも40~60人規模である。

市部・郡部を問わず会葬者数が10人以下というのも珍しいものではない。

 

「通夜と葬儀と同じものを2日やるのは面倒」と「一日葬」を選択する人も多い。

「家族葬」は今やポピュラーな葬儀形態であるし、葬儀儀礼をしないで火葬のみの「直葬」(火葬式)は1割以上で選択される時代となった。

しかしまた、規模や会葬者数で葬儀のクオリティ(質)を論ずる時代は終わった。

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碑文谷創(ひもんやはじめ)

碑文谷創(ひもんやはじめ)

葬送ジャーナリスト。評論(死、葬送、宗教)

1946年生まれ。東北出身(岩手・一関市、宮城・仙台市)。東京神学大学大学院修士課程中退。出版社に勤務し、44歳で独立、葬送文化専門雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)。

葬祭ディレクター技能審査企画委員(1995~2016))、経産省「ライフエンディング・ステージ」研究会委員(2010~2011)、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)顧問(1993~)等を歴任。

現在、死、葬送、宗教に関する評論・講演活動を展開。著書:『葬儀概論』(現在4訂)『死に方を忘れた日本人』『「お葬式」はなぜするの ?』、『Q&Aでわかる葬儀・お墓で困らない本』ほか多数。

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