直葬における炉前の読経
15年前くらいになるだろうか。ある仏教教団の研究会に顔を出したとき、仏教民族学の指導的研究者が私に話しかけてきた。
私が2000年頃から「直葬」問題を提起していたことを知ってのことであった。
「直葬では火葬炉前で読経をするのかね。それとも何もしないで火葬するのかね」
―頼まれ僧侶が炉前で読経することも多いようですよ。
「そうか、安心した。やはり日本人はお経を必要とするんだよね」
―先生それは少し違うと思います。檀那寺とか知った僧侶が読経するのではないですよ。まったく見ず知らずの僧侶で、遺族は本来読経を必要としていなくて、何もしないと後から親戚等から非難されることを危惧して、弁解できるように読経を頼んだというケースも多いのではないでしょうか。むしろ「読経が今でも必要とされている」のではなく、「読経を必要としない葬儀の始まり」ではないでしょうか。
「直葬」を「火葬式」と呼び換える葬祭事業者が多くなっている。
「死体処理ではなく葬式です」という言い訳を与えているようにしか見えないのは私がへそ曲がりなせいだろうか。
私はそこに「葬式である建前を守ろう」とする葬祭事業者の理念よりも、「僧侶手配の手数料稼ぎ」の本音を見てしまうのだ。
これは今流行のネット系葬儀斡旋事業者にも共通する。
仏教僧の葬送への係わりの端緒
仏教僧が葬式へ係わりだしたのは飛鳥時代の聖徳太子の葬式が最初といわれる。
奈良時代から聖(ひじり)とよばれた下級、半官半民の僧侶が放置された民衆の遺骸を集め、火葬して塚に埋めたという記録はある。
だが、民衆の死に際し、その葬送に本格的に係わるようになったのは中世末期、近世直前の戦国時代のことであった。
この仏教の葬送への係わりは生活仏教としての日本仏教にとって革命的なことであった。
今では「葬式仏教」「建前(教理仏教)と本音(生活仏教)の乖離」などと揶揄されることが多いが、「葬祭仏教」化しなければ仏教が日本民衆に受け入れられることはなかっただろう。
しかし「葬祭」が僧侶の「生業」となることによって堕落したことも事実である。
また檀信徒や信者の葬送に深く関与することで、とかく観念的になりがちな信仰のあり方を突き詰めた寺、僧侶もいる。
僧侶手配、派遣僧侶の問題を論ずる前に、歴史的に寺、僧侶と葬送の問題を私なりに概観しておく。
戦国時代と仏教の民衆化
戦国時代というのは戦乱だけではなく、飢餓、災害、感染症(疫病)のただ中に民衆を追いやった時代でもある。
既成仏教寺院の旦那(スポンサー)は貴族、武士であり、僧侶は貴族、武士の葬送に係わったが、民衆の死は往生、成仏とも無縁とされていた。
そうした状況の中にあって
下級僧侶、半官半民の僧侶が,教団からの指令によらず、地方の集落に入り、民衆の葬送に係わった。
これによって民衆は自分たちの人権が認められた、往生、成仏できる存在と認められたと歓迎し、その僧侶のためにお堂を民衆自身がスポンサーになって造り始めた。
戦国乱世から江戸初期に新規寺院建立を幕府に禁止されるまで、現在7万5千といわれる寺院のうち約5万以上という大半はこの時期に造られたと思われる。
江戸幕府による本末制度、寺請制度
民衆化した仏教の影響を重く見た幕府は、仏教寺院を自らの支配を補強するものとして制度化した。
それが1665年の宗門人別改帳、寺請制度である。
これによってすべての人はどこかの寺に帰属すべきとされた。
それに先行する1631年幕府は全国にランダムに建立されていった寺院の統制下を図り本末制度を施行。
すべての寺院は各宗派の本山と末寺関係にあることを強制された。
本末制度、寺請制度により寺院は宗派を定められ、民衆はどこかの寺院に登録し、そこで葬式を義務づけられた。
寺請制度は明治維新(1868年~)により法制化の根拠を失うが、明治後期の明治民法が家制度を根幹に置いたことにより檀家制度は生き延びる。
もちろん法制的な背景だけではなく、戦国時代以降、長期にわたって民衆の葬送慣習と仏教の葬送が混合、融合し、一体化してきた文化的結びつきがあってのことである。
占領軍による「仏教寺院弾圧?」
敗戦による占領軍の施策は、仏教寺院に明治維新の廃仏毀釈に続く弾圧ととらえられている。
農地解放により寺院の財政的基盤であった寺地が奪われ、戦後民法により家制度が崩壊したからである。
さらには1955(昭和30)年からの戦後高度経済成長が郡部より都市部への人口大移動をもたらした。
1950年当時は、郡部人口が8割、市部人口が2割といわれたが、今や大逆転し郡部人口2割、市部人口8割となっている。
この地方出自の都市住民が形成しているのが「宗教的浮動層」であり、これは今日無視できない問題になっている。
約7万5千の仏教寺院のうち、不活動になっているのが約2万、財政的に自立できているのは約3万にすぎない。
残りの2万5千の寺院が僧侶の役所、教員等の兼務や何か寺の住職兼務によって何とか支えられている。
「坊主丸儲け」などといわれるが、「儲かっている」寺院など全体の半数以下にすぎない。
コンビニの数がJFA(一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会)の調査によると55724(2019年7月)であるから、7万5千という数がいかに多いかがわかるだろう。
小さくても「俺らが寺」である。教団では統合を図るが難しい。
しかし放置しておくと自然に消滅、崩落していく寺院も少なくない。
自活している寺院がいいのではない。
寺と人との関係を見るうえで社会の変化の問題は見逃せない。