在来仏教13宗56派まとめ|天台宗3派の特徴を解説

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日本の葬儀文化は8割近くが仏式で行われており、その背後には在来仏教の13宗56派が少なからず影響を与えています。
葬儀関連事業に従事する関係者の皆様におかれましては、日本の宗教文化を理解することで、宗教・宗派ごとの葬祭に関する専門知識を高める一助となるでしょう。

そこでこの記事では、その多様な宗派の中でも、天台宗3宗派に焦点を当ててご紹介いたします。
ぜひ最後までご覧ください。

目次

天台宗3派の概要と傾向

天台宗の総本山、比叡山延暦寺付近の森

天台宗は「天台法華宗」や「法華円宗(ほっけえんしゅう)」「台宗」「叡山仏教(えいざんぶっきょう)」などとも呼ばれ、創設者は密教を広めた僧侶、伝教大師 最澄(でんきょうたいし さいちょう)です。
天台宗は大乗仏教の一派で、『法華経』を根本経典とすることで知られています。

興味深いことに天台宗の仏教的思想は宗教的領域だけでなく、能楽や茶道などの伝統芸術にも強く浸透し、日本文化にも深く影響を及ぼしました。
天台宗の多角的な影響力は、葬儀業界の皆様にとっても興味深い要素ではないでしょうか。

天台宗の開祖・最澄について

天台宗の祖、最澄の像

大本である天台宗の開祖である最澄は国が認めた僧侶で、日本史の教科書にも掲載されるほど有名です。
最澄は、奈良の東大寺で僧侶の修行を始めましたが、授戒を受けると間もなく南都仏教を避けるかのように比叡山に向かいました。
その際、一乗の教えを体現するまで山を下りないことを誓う『願文(がんもん)』を創りました。

最澄は世の中の無常と人間のはかなさを強く自覚したことから「生きている間に良いことを成し遂げるべきだ」と考え、『願文』の中で5つの「心願」を掲げました。
その決意と献身心が最澄の法華教学を朝廷に認めさせ、804年に天台法門を求めて唐へ渡るに至ります。
唐で学んだ教えをもとに、最澄は「円・密・戒・禅」の四宗を融合させました。

*四宗(円・密・戒・禅)とは
円…法華経 密…密教 禅…座禅 戒…戒律

また、最澄は『法華経』の教えに基づき「すべての人が仏に成れる」との願いを抱き、日本全土を大乗仏教の国にしようとしました。
この願いは、一乗の精神に基づく人材養成を目指す姿勢として現れているといえます。

法相宗との対立もありましたが、最澄の努力と信念が実り、天台宗は日本で栄えることとなりました。

1つの宗教が分かれた理由

天台宗には現在、以下の3宗派があります。

  • 山門派
  • 寺門派
  • 天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)

1つの宗教から3つの分派が生まれた背景としてまず挙げられるのが、比叡山延暦寺内における円仁派と円珍派の思想の対立です。
彼らは仏教の解釈を巡り意見の相違が生じ、対立が不可避となりました。
最終的に、比叡山に残った円仁派は山門派として、比叡山を下りることとなった円珍派は寺門派として、それぞれの宗派を築いています。

もう1つ挙げられるのが、太平洋戦争後の出来事です。
戦前までは宗派は分かれながらも1つの宗派としてまとまっていましたが、終戦後の1946年、天台宗は山門派、寺門派、そして天台宗真盛派の3派に再分裂しました。

こうした歴史的な背景から、天台宗は現在に至るまでに多彩な展開を遂げてきたことが理解できます。

天台宗3派の紹介

ここからは、天台宗3派についてご紹介いたします。
それぞれの宗教の特徴や概要を簡単にご紹介いたしますので、概要が分かります。
気になる宗教があれば、リンクをクリックいただけると詳しい内容の閲覧が可能です。

天台宗 山門派

天台宗山門派の総本山、比叡山延暦寺の画像イメージ
開祖・伝教大師 最澄
・慈覚大師 円仁
ご本尊寺院によって異なる
※特定のご本尊を定めていない様子
代表的な寺院・比叡山延暦寺(京都、総本山)
・寛永寺(東京)
・中尊寺(岩手)
・善光寺(長野)

天台宗山門派は平安時代の延暦25年に、伝教大師・最澄によって創立された流れを組んでいます。
その興隆には、最澄の弟子である円仁(えんにん)の貢献が大きかったことは言うまでもありません。

天台宗山門派の特徴は、日本独自の天台宗の教えである「人はみな平等で成仏できる」という思想を継承している点です。
この教えは日本の宗教における重要な要素であり、多くの人々に影響を与えました。

天台宗山門派の総本山は、京都にある比叡山延暦寺です。
比叡山では、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、法然や栄西など多くの仏教宗派の開祖たちも学びました。
しかし、比叡山延暦寺自体は、かつて困難にも立ち向かわなければなりませんでした。
例えば、織田信長による比叡山焼き討ちが有名です。
それでも天台宗山門派は持ちこたえ、独自の信仰と教義を現代に至るまで伝え続けました。

天台宗山門派の存在は、天台宗全体の発展に大きな影響を与え、現在も日本の宗教と文化に貢献しています。

詳しくは、以下の記事でご紹介しております。

天台宗 寺門派

天台宗寺門派総本山、長等山園城寺(三井寺)のイメージ画像
開祖・伝教大師 最澄
・智証大師 円珍
ご本尊寺院によって異なる
※特定のご本尊を定めていない様子
代表的な寺院・長等山園城寺(滋賀)
・金倉寺(香川県)

天台宗寺門派は最澄の流れをくみながらも、円仁派との争いで比叡山を下りることとなった円珍が開祖となり、分派した宗派です。
比叡山延暦寺から独立した天台宗寺門派は、長等山園城寺(ながらやまおんじょうじ)、別称 三井寺(みいでら)を総本山としています。

寺門派の教義には「自利化他(じりけた)の菩薩行」「上求菩堤下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)」という重要な信念が根付いています。
これは、個人の悟りを追求するだけでなく、他人を助け、平等な社会を築くことを目指すものです。

天台宗山門派と同じく「円・密・戒・禅」が実践されますが、天台宗寺門派では「修験(しゅげん)」の要素も加わる点が特徴です。
「修験」では日本古来の山岳信仰と仏教を習合させており、天台宗寺門派の独自性を際立たせています。

天台宗寺門派の詳細は以下の記事よりご覧いただけます。

天台真盛宗

天台真盛宗の総本山、西教寺のイメージ画像
開祖真盛上人
ご本尊阿弥陀如来(西教寺)
代表的な寺院西教寺(京都)

天台真盛宗は天台宗の一派で、総本山は比叡山との深い関係がある西教寺(さいきょうじ)です。
天台真盛宗は平安時代中期に草創され、天台真盛宗は戒律と念仏を重視し、特に戒律の教えが特徴です。
そんな西教寺は僧侶の修業の場のほか、天台宗の戒律を教える道場として栄えました。

天台真盛宗の開祖である真盛上人(しんせいしょうにん)は若い頃に比叡山に上り、20年以上も山に籠って天台宗の学問を究めたそうです。
特筆すべきは、戒律と念仏を重要視する天台真盛宗の教義です。
「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えたり、阿弥陀如来がご本尊だったりするなど、浄土宗の影響を受けていることがわかります。

また比叡山焼き討ちの後に明智光秀が坂本城城主となり復興に尽力したという点から、西教寺は明智光秀の菩提寺としても知られています。

最後に

天台宗のある、比叡山のイメージ画像

本記事では天台宗3派についてご紹介しました。

それぞれの宗派は似て非なる価値観や教えを持っているため、天台宗の多様さと歴史的な背景を理解することは、信者の葬儀や宗教行事を理解する一助となります。
葬送に対する各宗派の考え方や、葬儀の中で執り行われる種々の儀式が持つ意味を、きちんと理解しているのといないのでは、喪主様やご遺族からの信頼感にも、雲泥の差があるものと思われます。

『葬研』には他の宗教宗派に関する記事がありますので、さらに深く学びたい方は、ぜひ他の記事もご覧いただけましたら幸いです。

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