碑文谷創の葬送基礎講座19 暦 享年、行年

新年である。
西暦で2020年、和暦(というか日本の年号によれば)では令和2年となる。
正月は「年神(歳神)を迎える」ともいわれる。かつては正月で年齢が加算されたのである。

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■元号、年号

和暦では元号(げんごう)で表示するが、元号とはWikipediaによれば「日本の年代に付けられる称号」、広辞苑によれば「年号と同じ」。そこで「年号」を見ると「年につける称号」で中国に起源があるが日本では「645年に『大化』と号したのが最初」で、明治以来「一世一元」となった。

「元号法」という法律があり(1979=昭和54年)、「1.元号は政令で定める。2.元号は、皇位の継承があった場合に限り定める。」とある。

2019年5月1日に(正確には平成31年4月30日の翌日)皇位継承があったので「平成」から「令和」となった。
行政関係は年号表記が多かったが、平成以降は西暦と年号の併記、西暦表記も増加している。

■西暦

「西暦」とは、6世紀のローマで国教であったキリスト教を背景にしたもので、イエス・キリストの生誕年の翌年を紀元とする考え方から編み出されたものである。ヨーロッパでも一般的に用いられるようになったのは15世紀以降といわれる。
もっとも実際に歴史上の人物であるイエス(「キリスト」は尊称)が生まれたのはその後の研究ではその4年前であるとされている。

ヨーロッパ諸国の世界的な植民地進出によりこのイエス・キリスト生誕年翌年の1月1日を紀元とする「西暦」は世界的に普及し、今では国際的に共通のものとされている。
紀元前をBC(Before Christ)、紀元後をADと一般に表記してきたが、宗教を超えて一般化したため、現在では紀元後をCE(共通紀元Common Era)、紀元前をBCEとしようとする動きがある。
なお、AD(CE)1年の前年はBC(BCE)0年ではなくBC(BCE)1年となる。

■太陽暦=グレゴリア暦

「グレゴリア暦」とは16世紀に当時の教皇であるグレゴリア13世が始めたとされる(その前がユリウス暦)。
グレゴリア暦はユリウス暦より平均太陽年により近いもので現在世界共通に用いられている「太陽暦」のことである。
1年が365日とされ、400年間に97回のうるう年を入れる。

日本でグレゴリア暦が正式採用となったのは1872(明治5)年のことである。
明治維新政府は欧米との共通化を図る一環として江戸時代まで使用されていた旧暦(天保暦)を改めた。
この結果、明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日に改められた。

■旧暦

旧暦は純粋な太陰暦ではない。太陰太陽暦といわれるもので、江戸時代まで用いられた天保暦と現在の旧暦は1日前後異なることがある。
「太陰太陽暦における1年の日数は、平年では354日程度、閏月のある閏年では384日程度で、年により異なる」(Wikipedia)

伝統行事は旧暦時代のものが多く、太陽暦では季節感が異なることが多い。

「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士による吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日で雪が降ったとされている。12月中旬に東京で雪はあまりない。これは新暦では1703年1月30日にあたり、雪が降ってもおかしくない。

「お盆」は、旧暦の7月15日中心に行われていたが、新暦となり東京では新暦7月15日前後である。だが全国的には、共通してお盆休み(夏休み)をとる慣習から8月15日前後の月遅れが一般的になっている。
旧暦は年によって変わるがおおむね新暦の8月下旬にあたる。
明治5年に太陽暦が採用されたが、戦前までは慣習として旧暦も併用された。

■数え年、満年齢—年齢計算に関する法律

年齢表記については1902(明治35)年に「年齢計算に関する法律」があり「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」とある。
明治35年以降、法律的には「満年齢」で計算することになっている。
だが実際には戦前までは「数え年」が用いられることも多かった。

「満年齢」は誕生日が0歳で、以降誕生日がくるたびに1歳加算される。
「数え年」では生まれた時が1歳で、以降は誕生日ではなく毎年1月1日元旦をもって家族全員が1歳年を重ねる。

2015年11月30日生まれの場合、2020年2月1日の時点では満年齢では4歳(4年2カ月)であるが、数え年では6歳となる。
満年齢+1または2年となる。

■なぜ数え年なのか

「0」という概念がないからとする説もあるが、仏教的に「生命」は受胎から起算するという考え方から誕生時を1歳とする説もある。
妊娠期間を昔は「十月十日」(280日)の約1年と言っていたことからである。
現在は一般的に受精後平均266日であるから8カ月強となる。
ただこれだけでは正月に年をとるということは説明つかない。

■年齢のとなえ方に関する法律」

1949(昭和24)年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され1950年1月1日より施行された。
「1.この法律施行の日以後、国民は、年齢を数え年によって言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
2.この法律施行の日以後、国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によってこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によって年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。」

これは明治35年「年齢計算に関する法律」だけでは満年齢が徹底せず、数え年が慣習的に広く使われ続けたことを意味する。
またこの法律ができたことで数え年使用が激減することとなった。

■享年、行年

いま数え年が生きているのは(だんだん怪しくなってきたものの)葬儀や法事である。
死亡年齢(生を享けていた年)は享年(きょうねん)、行年(ぎょうねん)というが、これまでは数え年で表記することが多かった。
だが近年は新聞等では満年齢表記が一般的となってきている。
それが葬儀の世界にも影響し、享年、行年を満年齢で表記する例が見られるようになってきている。

■法事は数えが優勢

あまり変化がないのは法事である。
「初七日」は死亡日より7日後ではなく死亡当日を加えるので死亡から6日後。
「四十九日」も死亡から48日後となる。
「一周忌」は死亡から1年後と満表記であるが、2周年にあたるのは「三回忌」と数え表記となる。
弔い上げの三十三回忌は死亡から32年後となる。

いわゆる数え年と違うのは正月起算ではなくあくまで死亡日起算である点。
これは受胎から起算するという仏教的考えよりも0という概念がないという考え方が近いだろう。

暦と年齢表記の考え方は科学と慣習のハザマにある。

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