アマゾン「お坊さん便」へ全日本佛教会が理事長談話
2015(平成27)年12月24日、全日本佛教会は当時の理事長であった齋藤明聖氏の名前で「『Amazonお坊さん便 僧侶手配サービス』について」という理事長談話をプレスリリースした。
これは同年12月8日にアマゾンのマーケットプレイスに株式会社みんれび(現「よりそう」)が「お坊さん便」を出品、販売開始したことを受けてのものであった。
「(前略)私ども公益財団法人 全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。
申し上げるまでもなく、お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。
今回の『Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス』の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、およそ諸外国の宗教事情をみても、このようなことを許している国はありません。そういう意味で、世界的な規模で事業を展開する『Amazon』の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。(後略)」
「理事長談話」の正当さと奇妙さ
全仏がこのニュース性に危機感を抱いたのはわかるが、問題となる僧侶斡旋事業はすでに30年以上前からあり、これまで放置しておいて、なぜ今「理事長談話」なのか理解に苦しむ。
巨人アマゾンに出品されるようになったのが問題なのか。
「お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではない」
というならば、当然にも戦後高度経済成長以降の特に都会(後で地方でも追随する寺院が出たが)の寺院のかなり多くが「布施をサービスの対価」としてきた過去・現在へのまず痛烈な自己批判がなければならない。
理事長談話は最初に自己批判がくるべきであった。
※理事長談話は齋藤師の名前で出された。斎藤師はよく知っているが、悪意でないことはもちろん時代を見る目にも確かなものがある。この談話はアマゾン向けであると同時に商業化にはしる寺院への警告という意味もあるように思う。その正当性は認めても談話のもつ意味を考えると欠陥があるといわざるを得ない。