タイのメコン川で、親の散骨をしてみた。 ~異国の地で、じぶんらしい弔いを考えてみる~ 海外葬儀事情

第2回 メコン川で母の散骨

投稿日:2019年4月10日 更新日:

はじめに

 高齢社会は、多死社会。いつか迎える親の死。息子である40代のわたしは、その一人でした。また、死はいつか自分にもやってきます。死は遠いことかもしれませんが、死を想うことは、今の生を想うこと。だからこそ、今、じぶんらしい弔いを考えてみたい。わたしは、自分の母の散骨をタイのメコン川でしました。その時の顛末を3回の連載でお伝えします。筆者は、サラリーマンを辞め、タイの大学で看護を学び、現在は、タイ人の妻とともに東北部にあるウドンタニ県に住んでいます。異国の地で出会った弔いに、母の老いと死に悩む私は多くのことを気づかされました。

第2回の今回は、私の実の母のメコン川での散骨です。前回は義母の葬式について書きましたが、火葬の時に、妻が義母の足の裏にマジックで印をつけたのです。なぜ?という私に、妻は「おかあさんが生まれかわって、誰かの赤ちゃんになって還ってきてもわかるように印をつけた」というのです。義母の死の数年後、わたしは、実の母の老いと死に悩んだまま、メコン川で母の散骨をしました。その時、わたしが思い出したのは、あのときの妻の言葉「うまれかわり」でした。当時はおどろきだけだったのですが、川の流れをみていると、妻の言葉が自分の心にストンと落ちたのです。

母の老いと死に悩む

わたしは、タイ国の東北部にある大学で、看護を学んだ。看取りと葬儀を経験し、現地の高齢者の穏やかな逝き方に感銘を受けた。しかし、日本に帰国後、自分の母の介護はうまくいかなかった。まず、母の予想以上の老いにとまどった。なぜなら、久しぶりに食べる母のみそ汁はまずかった。母は、得意だった料理を作ることができなくなっていたのだ。そんな母のかわりに料理をするわたし。しかし、息子が料理をすることに、母はプライドを傷つけられ、私とは喧嘩ばかり。わたしは、母の気持ちを想うことができなかったし、母の老いを受け入れる事ができなかったのだ。

恥ずべきことだが、わたしはそんな母に手が出そうになることもあった。なんとか手を止めることができたが、怒りが収まらず、近くの棚をけりあげてしまうこともあった。

そんな母が突然亡くなった。大晦日の晩、風呂場で倒れ、そのまま逝った。母との良い思い出もたくさんあるのに、わたしは、手が出そうになったことだけを思い出し、ひたすら悔やんだ。葬儀会社による葬儀はスムーズに進んだ。しかし、斎場で骨だけになった母を見て、自分は何も弔っていないと強く思った。そこで、わたしは、自分で弔いをしようとタイのメコン川で散骨をすることにした。その時に思い出したのは、義母の火葬の時に妻が話した「うまれかわり」という言葉だった。

(母が使っていたお玉、40年以上前のもの?)

(わたしが蹴った棚)

「死がおわりではない」

わたしがこの「うまれかわり」という言葉を聞くのは、じつは妻からが初めてではない。それは、タイの大学での看護学生時代に経験したある看取りのときだった。あるおじいさんが亡くなるまさにその時に、ヤモリが鳴いた。"トッケー"と呼ばれるヤモリは、その名の通りに鳴く。それを聞いた娘さんが「おとうさんは、トッケーにうまれかわった」と言ったのだ。わたしは、その言葉に驚いた。指導教官に「生まれかわるの早い!」と冗談で言ったら、笑いながらも「わたしも信じてるよ」と答えて、わたしはまた驚いた。

指導教官によると、「生まれかわり」という考えがタイ人にひろく信じられているのは仏教の教えがベースになっていると話してくれた。仏教では、生まれる、老いる、病になる、死ぬ、これら4つを苦しみととらえ四苦という。人びとは、生まれかわりながら、この四苦を繰り返す、つまり輪廻転生を繰り返すという。生きている今は、苦しいと思うような教えのように聞こえる。だからこそ、死は当たり前ととらえるとのこと。妻に聞くと、子どものころからよく聞かされた話だという。「お母さんが生まれかわって、、、」と話した妻は、普段は利益優先のビジネスをしており、合理的な思考の持ち主であるからこそ、わたしは意外に思ったのだ。かれらの心の奥底に、仏教による死や生のイメージがあり、また、実際に彼らの多くは、自宅で祖父や祖母が亡くなってゆく姿をみているのだ。

わたしは、タイで初めて人がなくなる瞬間に出会った。送る側も、逝く側も、穏やかな表情が印象的であった。あの穏やかな表情を見ていると、それまでの「死はおわり」「死が怖い」というイメージが揺らいでいった。しかし、帰国後に、自分の母の老いにとまどったのは、いつか来る母の死がやはり怖かったのだ。母の老いと死は、はじめての身近な生と死だった。

(子どもの時から、お年寄りが身近にいる。この方は撮影後1年後に亡くなった)

 

<タイの人にとって、お坊さまは大変身近な人であるようです。写真でご紹介します。>

(托鉢、人々は毎朝、食事を寄進する)

(お坊さまの托鉢のおさがりをみんなでいただく)

(右の小さなお坊さんは僧歴8年!)

(末期の患者さんの自宅訪問)

(病室を訪れる)

(子どもの出家式。涙が流れる)

メコン川で散骨

母の火葬から数日後。わたしは母の骨壺を鞄にいれ、バンコク行きの飛行機に乗った。さらにバンコクから国内線に乗り換え、妻が住むタイ東北部のウドンタニに着く。そこからメコン川までは約60キロ、車で1時間ほどだ。

川岸で、散骨をするために船を待つ人たちを見かける。タイでは、日本のような先祖代々の墓を持つという人は少ないようだ。亡くなった人のお骨をお寺の塀の柱に埋め込んだり、塔に納めて、お寺の敷地に置いたりする。また川、海、湖などで散骨する人も多い。わたしも、義母と実父につづき、実母が3回目の散骨になる。

川岸にあるお寺でお経をあげてもらう。骨壺と、お花をいれたお盆をかかえながら、船着き場まで、紙に包んだコインを投げながら歩く。通りがかりの人が、歓声をあげながら、そのコインを拾う。

お坊さんが乗り込んだところで、船は出発する。メコン川の川幅は狭い。対岸には、お隣の国のラオスの街並みが見える。しばらくして、船が止まった。川面から、岩のようなものが飛び出している。それは、水没した仏塔だった。お坊さんのお経とともに、散骨が始まった。

(川岸のお寺での読経)

(母の遺影)

(メコン川に住むといわれる龍神)

(対岸に見える隣国ラオスの街並み)

 

(船上での読経)

(水没した仏塔)

(母の遺骨)

(散骨をはじめる)

 

うまれ変わるのは、自分だ

 わたしは、母のお骨を骨壺から、ゆっくりと流した。水の中に、吸い込まれていくお骨。しかし、花びらは川面に浮いている。メコン川は、澄んだ水ではない。この川は茶色に濁っている。だからこそ、バラの赤、雛菊のオレンジがとても映える。船のスピードについていけずに、花びらが徐々に見えなくなってゆく。

 その時、タイ人が話す「うまれかわり」がストンと自分の心に落ちた。チベット高原を源流とするこの川は、タイだけでなく、ラオス、ミャンマー、カンボジア、ベトナムを通り、海に流れてゆく。母も、この道筋を通って、海に流れてゆく、その海は日本にもつながっている。大きな円のイメージが浮かぶ。円は、どこが始まりで、どこが終わりかは関係ない。生と死、どちらが先か?それも関係がない、、。

 母に手をだしそうになった自分の気持ちが、少しづつ溶けていくようだ。そして、"生まれかわるのは、自分だ"という思いがこみあげてきた。

 船上で1時間ほどの時間を過ごし、わたしは陸にあがった。土を踏みしめる足の感覚が妙に新鮮だった。

(自然と手を合わせてしまう)

(いつまでも花びらは、川面に漂っていた)

 いかがでしたでしょうか?

 弔いは、残された人に、哀しみだけでなく、生きる何かを与えてくれるのかもしれません。母の弔いが、わたしに与えてくれたことは、過去ではなく、今を生きることでした。そして、"生まれかわる"のは、わたしだったのです。普段は自分たちが見えにくいことも、異国だからこそ、見えてくるのかもしれません。最終回の次回は、わたしと同じタイ在住の日本の方についてです。タイ人の逝き方・弔いを経験し、そして現地で逝った彼らの弔いについて書きます。

  • この記事を書いた人
古山裕基

古山裕基(こやまひろき)

“逝き方から,生き方を創る東北タイの旅”主宰

1972年生まれ.同志社大学法学部,タイ・コンケン大学看護学部卒業. 青年海外協力隊ベネズエラ・エイズ対策派遣.介護施設勤務. 京都文教大学大学院文化人類学研究科修了

2015年度トヨタ財団国際助成プログラム “心豊かな「死」をむかえる 看取りの「場」づくり ―日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県 ウボンラット郡の介護実践の学び合い”のプロジェクトリーダー

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