戦後葬儀の歴史を2回にわたって取り上げる。
目次
・「新生活運動」と葬儀
・地域共同体が中心となった葬儀
・・死亡の高齢化
・祭壇文化
・冠婚葬祭互助会
・祭壇文化の背景となる高度経済成長期
・個人儀礼に
・・多死化
・・少子化
・・高齢化
・・不況の長期化、文化・消費の個人化・多様化
(以上、今回。以下、次回)
・「家族葬」登場で葬儀の小型化
・生花祭壇と洋型霊柩車
・個人化、小型化傾向を確実にしたリーマン・ショック
・・家族の縮小、単独世帯の増加
・情報の個人化、多様化を可能にしたインターネット
・グローバリゼーション
・葬祭サービス
「新生活運動」と葬儀
「敗戦後、全国の婦人会や青年団が冠婚葬祭の簡素化や封建的因習打破、衣食住の合理化に取り組んだ。鳩山一郎内閣はこの動きを国家再建につなげようと1955年、『新生活運動』を提唱。しかし高度経済成長に伴い、『消費は美徳』となる中、運動は姿を消した。」(朝日新聞掲載「キーワード」)
1955(昭和30)年といえば、敗戦後10年、戦後経済の大混乱の後、1950(昭和25)年~1952(昭和27)年の朝鮮半島を二分する朝鮮戦争を背景とする朝鮮戦争特需を経て、日本が高度経済成長期に入るまさにその時期である。
戦争による生活混乱と経済復興が同時にあったその時期に新生活運動は起こり、そしてそれは高度経済成長に呑み込まれながら衰退した。
冠婚葬祭互助会もこの新生活運動を背景として登場した。
地域共同体が中心となった葬儀
そもそも日本の葬儀は、現在のように遺族ではなく、地域共同体が中心となって営まれたものであった。
古くはヨーロッパでも見られたことであるが、今のように高齢者の死が多い時代とは異なる。誰が死亡してもおかしくない時代がすぐ前まであった。
死亡によるリスクが大きかったため、遺族は喪に専念することができるように地域共同体が主宰して葬儀を営んだ。
※「死亡の高齢化」というのは戦後のことであり、22年前の1995(平成7)年に比しても著しく伸長している。
(注)「80歳以上」とは死亡時の年齢が80歳以上の人が全死亡者に占める割合の意味。以下、同じ。
2017年 1995年
・80歳以上 63.5% 29.1%
・65歳以上 90.2% 65.7%
平均余命で見ても、1955(昭和30)年:男性63.6年・女性67.8年、1975(昭和50)年:男性71.7年・女性76.9年、2005(平成17)年:男性78.6年・女性86.4年、2018(平成30)年:男性81.3年・女性87.3年と著しく伸長している。
この地域共同体に加わって新たな共同体である企業が葬儀に参加するようになるのが1970年代以降のことである。
また、この頃より葬祭業者が葬儀の運営に深く関与するようになる。
葬祭業者の関与といっても、病院から自宅への遺体の移動・安置、納棺、自宅式場の準備、祭壇の設営、通夜や葬儀・告別式の運営、遺体の火葬場移送といった葬儀の外枠に係わる業務が中心であった。
遺族の側にいたのは親戚、地域共同体、僧侶等の宗教者で、1990年代にこれら遺族の周囲にいて遺族をサポートしていた人々が少数化、不在になることにより、葬祭業者が遺族のサポートという課題に直面することになる。