碑文谷創の葬送基礎講座20 大都市における「葬祭業」の誕生

碑文谷創の葬送基礎講座

「葬祭業」の誕生 大都市と地方の差

「葬祭業の誕生」は日本の近代化と共に始まりました。
「葬祭業の出自」ということで見れば江戸後期にさかのぼることができます(早桶屋、桶屋、葬具貸し出し業)。
しかし、それはあくまで一部の話であって、商業として社会に一定規模で登場するのは明治以降、特に1877(明治10)(この年は鹿児島・西郷軍と明治政府の間で西南戦争が勃発。9月に西郷隆盛が自決して終結)以降のことです。
といってもこれは「大都市限定」の話です。

地方においての葬祭業誕生は、戦後高度経済成長の開始前夜である1953(昭和28)年以降となります。
1953(昭和28)年というのは、NHKテレビが本放送を開始した年ですが、葬送では全国に祭壇の販売が展開された年です。
「葬祭業の誕生」は、大都市と地方では、おおよそですが70~80年の差があることになります。

 

大都市における「葬祭業」の誕生

江戸時代には禁止されていた昼間の葬儀が許可され、明治の中期には商業階級が台頭して大都市では大規模な葬列が行われるようになりました。

葬列の肥大化は1887(明治20)年~1897(明治20)年の10年間がピーク。
この明治中期の大都市限定「葬儀の奢侈化」が、これもまた大都市限定の「葬祭業者」の誕生を促しました。

一つは葬列用の葬具の開発です。
寝棺(ねかん。それまでは縦型の座棺)、柩を運ぶための輿(こし。後に祭壇の原型となる)、金蓮、銀蓮等の造花、位牌輿、花車等の開発が行われました。
もう一つは、大葬列を演出する人夫の手配業としてでした。
葬具提供業と葬列人夫手配業として葬祭業は開始されました。

【街を葬列がいく】 [caption id="attachment_22279" align="aligncenter" width="592"]街を葬列がいく 写真は『一柳葬具総本店 百年史』より引用[/caption]

しかし、明治30年代になると、社会の貧富格差の拡大を背景に、「葬儀の奢侈化」非難が盛んになります。
1901(明治34)年には、自由民権運動家中江兆民の葬儀が、葬列ではなく日本初の告別式として行われました。
1903(明治36)年には路面電車が登場し、大規模葬列が減少に向かいます。
大正に入ると、大規模葬列への社会的非難が増大していきます。

 

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